子どもが発達障害かもしれないと言われて落ち込んだ私が、気持ちを持ち直すことができた理由

発達凸凹っ子の子育て

こんにちは、あつみです。私には発達障害の子どもが5人いて、全員が発達凸凹タイプ。このブログでは、発達障害の子ども5人を育てていく過程で、私が今まで学んできたことや経験してきたことなどを主にお伝えしていきます。

前回の記事で、

自分の子どもが発達障害かもしれない

ということと向き合っていこう!

と決めたきっかけについて書きました。

今回は、

その時の私の思考がどう変化していったのか

について書こうと思います。

(写真はイメージです。写真AC)

長男が発達障害かもしれないと言われた時、

私はすごく落ち込み、悩み、苦しみました。

「発達障害かもしれない」ということが、

それまでの子育てを含めた私の人生すべてを

否定したと感じたからです。

本当に本当にツラかった・・・

もう、すべてから逃げ出したい気持ちで

いっぱいでした。

そんな風に落ち込み、辛い思いをしている時、

「発達障害かもしれない」と言われる前も後も

長男自身は何も変わっていないことに

気づいたんです。

(写真はイメージです。写真AC)

何か気に入らないことがあればすぐ泣くのも、

床に寝転がって全身で怒りを表すのも、

どこかに出かければ迷子になるのも。

ブロックで大好きな車を作ったら

ニコニコ笑顔で見せに来るのも、

今までと何にも変わらない。

「発達障害かもしれない」

「私が育て方を間違えた」

「私が子育てなんてしてはいけなかったんだ」

こんなふうに、

私がどれだけ悩んでも彼の行動には関係ない。

今になってみると、

そのことに気づいた当時の私は、

悩むことがバカバカしく感じたのかも

しれないなぁと思います。

(写真はイメージです。写真AC)

この時、

長男自身が変わらないということの他に、

さらに気づいたことがあったんです。

それは、

長男を産み育ててきたのは私で、

長男は”今生きている”ということ。

そしてそれらも、

私がどんなに悩んでも変わらない事実である

ということ。

それらを前にした私の頭の中に、

ふと自分への問いかけが浮かんできました。

「それまでの子育てを悔やみ、

自分の人生がすべて否定されたとして、

私はこれからどうするのか?」

(写真はイメージです。写真AC)

私の子育てが間違っていたのなら、

私以外の家族に育ててもらえばいい?

→いやいや。もしそれが出来るのなら、

そもそも今のような状態になっていない。

家族に頼ることが出来ないのなら、

施設に預けるとかして他の人に任せる?

→誰から見てもそれが子どもたちにとって

最善策なら仕方ないけど、

今はまだ自分から選びたくない。

じゃあ極論、

否定した自分の人生ここでやめちゃう

子どもたちと一緒に?

→それだけは絶対に出来ない・・・

やっぱり私は

長女も長男も自分で育てたい

そして、

子どもたちには笑顔でいてほしい。

結局、私の願いはこれしかなかった。

(写真はイメージです。写真AC)

それなら、私にできることは?

それは、長男が発達障害かもしれない

という現実を受け止め、

彼が過ごしやすい環境をつくること。

ただそれだけ。

「もし、私の育て方が悪かったのなら、

これから直していけばいい。」

「保育園の先生が言うには、発達障害のことで

病院に行けば加配の先生がついてくれる

かもしれないとのことだった。

もし加配の先生がついてくれるなら、

長男は保育園で過ごしやすくなるかもしれない。」

正直、

発達障害だと確定したらどうしよう・・

という不安な気持ちはまだありました。

「でも、私にはこれしかできないから。

どんなことでも受け止めてやる」

怖さを振り切るようにそう決意したんです。

(写真はイメージです。写真AC)

あのあと病院に行ったり、

児童相談所に行ったりした結果、

3年後に長男は発達障害と診断されました。

その後、長女、次男、三男、次女と続き、

今では我が子全員が発達障害の診断持ちです。

さらに、学校に馴染めず不登校!

ただどんな状況になっても、

「笑顔の子どもたちと

一緒に過ごしたい」

と思ったあのとき抱いた気持ちは、

今でも一切変わりません。

それだけは断言できます。

(写真はイメージです。写真AC)

自分が一番望んでいることは

なんなのか?

それが私の中ではっきりわかったから、

落ち込んだ気持ちから抜け出すことが

出来ました。

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